130万円のカベ見直し検討
岸田首相が、2023年2月1日に行われた衆院予算委員会の中で、社会保険(健康保険・厚生年金保険)の扶養家族となれる年収基準「130万円未満」を見直す検討をする旨の発言をされました。ネット配信ニュースをはじめとする報道等でご存知の方も多いと思います。私は、この収入基準の見直し自体は、とても歓迎すべきことだと思います。その理由としては、次の大きく2つの理由があると考えるからです。
随分と前から言われてきましたが、この収入基準があるために、就労調整がされ、結果的に女性の社会進出を阻んでいる要因ともされてきたからです。確かに、この基準を超えてしまうと、配偶者の扶養家族から抜けなくてはならなくなり、新たに社会保険料を負担しなければなりません。年収130万円以上150万円未満の範囲内だと、この新たな負担増によって給与の手取り額(可処分所得)が減ってしまう事態に陥ります。これを回避するために、就労時間調整を行いながら、パート・アルバイト勤務される方が多いのも事実です。
次に、徐々に地域別最低賃金が引き上げられている点です。数年前から東京都では1,000円を超えるようになりました。当たり前ですが、従来の就労時間で勤務すれば収入基準に到達するのが早くなります。厚生労働省の統計によれば、パートタイム労働者の総実労働時間数は、1994年(H6)当時1,172時間だったのに対し、2021年(R3)は946時間と、実に年間226時間も減少したことが明らかにされています(労働条件分科会(第177回),2022.8.30,『労働時間制度の現状等について』,厚生労働省ホームページ)。月平均にならすと、1994年は97.67時間、2021年は78.83時間です。これは、最低賃金の引き上げとともに、先で述べたパート・アルバイトの雇用形態で働かれている方々が扶養の枠内におさまるよう調整していることも一因と推察されます。さらには、慢性的な人手不足を深刻にしているとも言えます。
以上のことから、収入基準は見直すべきだと思います。
社会保険の加入基準
他方で考えなければならないのは、社会保険料負担をする「被保険者」からの視点です。
原則となる加入基準は、フルタイムで働く正社員を基本とし、「1週間の所定勤務時間数」と「1か月の勤務日数」の両方で4分の3以上の働き方か否かで、社会保険の加入義務が決まります。
例えば、正社員は1週間40時間・1か月20日稼働の会社があったとしましょう。この場合、1週間30時間以上(=40時間×4分の3)+1か月15日以上(=20日×4分の3)の勤務実態があれば、パート・アルバイトといった雇用形態に関わらず、社会保険に加入しなければなりません。これが、いわゆる「社会保険の4分の3基準」と呼ばれているものです。
他方で、この4分の3基準を採らない場合があります。それが、法人もしくは事業所全体で社会保険の被保険者数101人以上である会社の場合です。社会保険の世界では、この規模の会社を「特定適用事業所」と呼びます。この特定適用事業所で勤務する場合は、原則の4分の3基準ではなく、次の4つをすべて満たすと社会保険への加入義務が生じます。
- 1週間の所定勤務時間数が20時間以上あること。
- 月額給与が88,000円以上であること。
- 2か月を超えて雇用される見込みがあること。
- 学生ではないこと。
来年(2024年10月)には、特定適用事業所の要件が「被保険者数51人以上」になることが法改正により決定されています。これは、要件緩和によって、社会保険への加入対象者が広がることを意味します。週20時間以上ですから、雇用保険に加入する基準とほぼ一緒です。1日4時間・1週間に5日間勤務すれば、基本的には社会保険の加入義務が生じることになるのです。
2021.09.13
社会保険の加入基準について
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被保険者基準と扶養基準の両面から考慮する必要があるのでは?
では、将来的に企業の被保険者数に関係なく、特定適用事業所の要件に該当したら社会保険に加入義務が生じるとなったらどうでしょう?基本的に週20時間以上勤務するパート・アルバイトは、みんな社会保険の被保険者になります。と同時に、配偶者の扶養家族からは抜けなければならなくなります。少なくとも、被保険者数51人以上規模の会社に勤務するパート・アルバイトの方々は、2023年10月以降は加入義務が生じることが決定しています。だから、単に扶養家族の年収基準を引き上げるだけでは何の意味もなさない訳です。扶養となれる収入基準を引き上げたところで、社会保険の被保険者に該当する基準を緩和(引き下げ)しているため矛盾しています…。
東京都の最低賃金で考えると、時給1,072×87時間/月×12か月=1,119,168円です。ちなみに、月87時間としたのは、週20時間勤務することを考慮(87時間×12か月÷52週≒20.08時間)したためです。このケースでは、現状の扶養となれる収入基準(130万円の壁)の枠内にある訳ですが、特定適用事業所で勤務するパート・アルバイトさんであれば、社会保険の加入義務が生じ、配偶者の扶養家族から抜けなければなりません。
更に働く時間が短く?!
先ほど、厚生労働省のパートタイム労働者の総実労働時間数を紹介しましたが、年間946時間、週20時間未満(=946時間÷52週)である点に合点がいきます。統計は2021年と、2022年に特定適用事業所の要件緩和が実施される前のデータとはいえ、次のことが読み取れないでしょうか。
一つ目は、特定適用事業所に勤務するパート・アルバイトさんが、社会保険料負担を回避すべく就労調整をしていること。
二つ目として、数年前から東京都をはじめとする関東圏の地域別最低賃金が1,000円以上となったことで、勤務時間を調整しないと130万円の壁を超えてしまうため、就労調整していること。
(全てとは言いませんが)パート・アルバイトで勤務される多くの方々は、少しでも家計の足しにするために働かれています。それなのに、頑張って働いた分が社会保険料の負担と消え、それ以前に得ていた給与よりも手取り額(可処分所得)が減ってしまう。頑張って働いた分を、日々の家計のやり繰りや子供にかかる養育費に回すどころか消えてしまう訳です。これでは、益々、パート・アルバイトで働く方々が就労時間の調整(勤務時間を短くする)を助長することへと繋がらないでしょうか。人手不足が叫ばれるなか、これでは本末転倒です。
転じて企業(特に中小企業)の観点に立っても、社会保険の被保険者数の増加は、会社負担分(法定福利費)の増加に直結します。物価上昇等の著しい社会経済情勢のなか、中小企業は簡単に価格転嫁などできないため、皆知恵を絞って企業努力の先に、何とか法定福利費増部分の捻出をしています。このような状況下であるため、政府が企業に求めている賃上げも難しい訳です。いずれにせよ、経営者の方々の悩みの種になっていることは明らかです。
おわりに
今回、せっかく130万円の壁の見直し・検討することに舵をきった訳ですから、是非とも、既に改正が決定している来年10月以降の「特定適用事業所の緩和(被保険者数51人以上)」の見直しも含めた社会保険の被保険者基準と、被扶養者基準の一体的な制度変更をして欲しいと切に願います。それは例えば、被扶養者の年収基準の見直しとともに、特定適用事業所制度を廃止し、企業の被保険者数規模に関係なく4分の3基準に戻すことが考えられます。そうなれば、週20時間未満に抑えていた方々も就労時間を増やすことに繋がり、世帯年収増加にも寄与することになります。そして、慢性的な労働市場の人手不足を解消する有効打にもなり得ます。さらには企業の負担増となっていた法定福利費分を賃上げに回せるかもしれないのです。いずれにしても、特定適用事業所に適用される社会保険の加入基準が現行制度のままでは、被扶養者の収入基準の引き上げは意味をなさないことは確かです。是非とも、被保険者と被扶養者制度両面からの一体的な改革をして欲しいと思います。